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ヘンリー・ストレイチー (初代準男爵) : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・ストレイチー (初代準男爵)[だんしゃく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はつ]
  1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new 
初代 : [しょだい]
 【名詞】 1. first generation 2. founder 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [じゅん]
  1. (n,pref) level 2. apply correspondingly 3. correspond to 4. being proportionate to 5. conforming to 6. semi 7. quasi 8. associate 9. standard 10. rule 1 1. aim
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 
男爵 : [だんしゃく]
 【名詞】 1. baron 

ヘンリー・ストレイチー (初代準男爵) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・ストレイチー (初代準男爵)[だんしゃく]
初代準男爵サーヘンリー・ストレイチー(Sir Henry Strachey, 1st Baronet、1737年5月23日 - 1810年1月3日)は、イギリス官僚政治家
== 生涯 ==
ストレイチーは、サマセット州のサットン・コート (Sutton Court) の主だった同名の父ヘンリー・ストレイチーと、その最初の妻で、スコットランド人医師ロバート・クラーク (Robert Clerk) の娘であったヘレンとの間に生まれた長男であった。祖父ジョン・ストレイチー (John Strachey) は地率学者であり、同名の曾祖父ジョン・ストレイチーは、ジョン・ロックの友人であった。
1762年インドにいたクライブ卿の私設秘書に任じられ、1768年ポンテフラクト選挙区 (Pontefract) から庶民院に選出されるまで、この職に就いていた。1774年までポンテフラクト選挙区選出で議席を占めた後は、1774年から1778年までと1780年から1782年まではビショップス・キャッスル選挙区 (Bishop's Castle) から、1778年から1780年まではソルタッシュ選挙区 (Saltash) から、1802年から1807年まではイースト・グリンステッド選挙区 (East Grinstead) から、それぞれ選出された。
ストレイチーは、1778年から1780年まで、兵站補給部長 (Clerk of the Deliveries of the Ordnance)、1780年から1783年までと、1783年には兵站管理部長 (Principal Storekeeper of the Ordnance) を務め、1782年には第二次ロッキンガム侯爵内閣において財務省政務官 (Secretary to the Treasury) のひとりとなり、1782年から1783年にかけては、シェルバーン侯爵内閣において内務省政務官 (Under-Secretary of State for the Home Department) のひとりとなった。1783年には、パリにおけるアメリカ独立戦争の講和に至る和平交渉に、リチャード・オズワルド (Richard Oswald) とともにイギリス側を代表して参加し、アメリカ合衆国を代表したジョン・ジェイジョン・アダムズベンジャミン・フランクリンらとの交渉に当たった。この交渉の結果、パリ条約が締結された。ストレイチーは、その後、1794年から1810年まで王室内務主事 (Master of the Household) を務めた。
1801年、サマセット州サットン・コートの準男爵に叙爵された。
ストレイチーは1810年1月に、72歳で死去し、準男爵位は長男のヘンリーが襲爵した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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